オタク友達との人間関係で疲れを感じたときに考えていたこと。
SNSや現場などオタクをしてたからこそ仲良くなれた友達。オタ友がいるからこそ楽しめることもたくさんあるけど、周囲のオタクに憧れて無理に繋がる必要もないし、オタ友に限らず自分の心に疲れを感じたときには距離を置けるくらいの関係がちょうど良いかなと思います。
公開日:2024.02.06更新日:2024.02.18
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オタク同士の友達関係でなんとなく疲れてる自分を感じる…
趣味で繋がれる友達って一緒に楽しみを共有できるし、SNSだけで繋がってる友達もリアルにはない適度の距離で繋がれるし、オタクしてからできた友達との関係ってそれまで学校が同じという理由でしか仲良い友達がいなかった自分にとっては、とても良い関係かなって感じてました。
でもやっぱり、オタクだからこそなのか劣等感や、推し活の価値観の違いを心のどこかで感じてしまい、少しずつ自分の心が疲れてきてるのを感じたときがあります。
今回の記事はそんな風に感じたときに、私が勝手に思ったり考えたことを書いてみたので、色々間違ってそうな考えもあるかもですが、誰かの役に立てたら嬉しいです。
友達との価値観の違いで心が少しずつ疲弊してた
私はオタクしたいときとそうでない時でけっこう熱量に波があるタイプだし外見も普通の女子大生という感じで、でも常に全通が当たり前だったり、美容やファッションにもちゃんとお金をかけて、キラキラしている友達が本当に羨ましくて、そんな理想的なオタクな友達と仲良くしてもらえてるだけで、幸せだなって思ってました。
もともと自己肯定感が低すぎるのもあるけど、そんな友達をずっとみてると、自分なんかが同じ輪の中にいていいのかな、みたいな風にふとしたときに考えるようになってました。
多分、友達は絶対わたしに対してそんなネガティブな感情を少しも持ってないんだろうけど、自分で勝手に劣等感を感じて勝手に一人で少しずつ自分の心を疲れさせていました。
そもそも「オタクするための友達」なんて存在しない
大学生になって、たまたま趣味が似ていたから仲良くなれた友達なのに、私が勝手に「オタクをする友達」とか「サークルの友達」とラベル付けをしてること自体、おかしいのかななと思ったんです。
ネガティブで人見知りな性格のせいで友達がそこまで多くないからなのか、「友達」って言葉に他の人よりも何か強い信頼関係があるように感じてしまうタイプなのに、この人はこれ、みたいな本当に最悪な矛盾した考えを持っている自分に気づきました。
「〇〇するため」の人間関係があるのだとしたら、それは私の中での友達の定義には入らないはずなんです。
自分なんかと仲良くしてくれて、自分が友達と思える人と楽しい時間を過ごしてたはずなのに、なぜか自分の中でその友達としての関係を、オタクするため「だけ」に築いた人間関係に書き換えてしまっていたのです。
距離を置いて疎遠にならないか不安に感じる人間関係を「友達」と名付けない
なんとなく感じた心の疲れから、推し活も情報を追うくらいにしたとき、SNSだけで繋がってる人との距離が離れてくのを感じる中、大学でできたオタク友達のほとんどのみんなは特に今までと距離を感じることはありませんでした。
そもそも、私が感じていた不安は、みんなと同じようにオタクをしてないと、趣味きっかけで仲良くなったみんなが離れてしまうんじゃないかという勝手な妄想でしかなかったし、もしその妄想が本当だったとしても、自分が気にし続けていないと途切れてしまう関係を保ち続ける方が自分のメンタルに圧倒的に良くないはずだなと思いました。
私は友達との関係に疲れていたのではなく、オタクをする過程で自然とできていた人間関係に疲れていただけであって、それは別に自分の心の状態や推し活への熱量が変化したタイミングで無くなるなら無くなればいいし、それによって自分の趣味への価値観を変える必要は全くないなと考えるようになりました。
オタクをする過程でたまたま友達になれた人が友達(オタク友達)なのであって、オタクをしている過程でできた全ての人間関係を「オタク友達」と名付ける必要はないし、それを無理に保とうとする必要性は全くないんです。
自分の心が最優先。それでもオタクできる友達がいたらラッキー。
自分のためにオタクしてるのに、その趣味を誰かとの関係を保つためにするというのは、自分の楽しい時間よりも重要じゃないはずの人間関係を優先していることになってしまいます。
けっきょく、自分の心が安全に保たれる状態じゃないと、自分の心を傷つける悪いサイクルになっていくだけなので、自分が楽しいと思うことだけを自分が楽しいと思えるタイミングで楽しんで、そのときに一緒にその思い出を共有できる人がいたら幸せすぎるな、くらいの考え方でできた友達とオタクをするのが一番なのかなと思います。
ここまで読んで、共感というか理解すらちょっとできないという方もいるかもしれませんが、とにかくオタクという最高な趣味を、偶然その過程でできた人間関係を保つための手段にしたり自分の価値観を相手に無理に合わせたりせず、自分が楽しむためのものだという当たり前のことを忘れないことが大切なのかなと思います。